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●リノベーションにこだわるワケ
1997年30歳で私は会社を辞め独立して設計事務所を開設しました。
それまではビルやマンション、ホテルなど大型建築の設計がほとんど、99%です。
新築住宅の経験は数件程度、数えるほどしかありません。
ましてリフォーム、改修の設計の仕事は実質一つも経験しませんでした。
独立当初、これまでとは違った設計スタイルを築こう、
一人も多くの人に喜んでもらおう。社会や環境にいい建築を
取り組もうと1997年に開催された京都環境会議cop3に足を運びました。
京都に行くとあちこちで古い建物が見られ見事に再生されていました。
環境にいい、今までとは違った建物づくり、家づくりの情報が山のようにありました。
環境にいい建物づくりを真剣に取り組む熱い人との出会いも経験しました。
これからは日本もきっとリフォームの時代がやってくる。スクラップアンドビルドの時代の終焉がやってくると
今から18年も前に通関したわけです。今注目されるリノベーションが予想通りやってきたわけです。
その後8年間は仕事というよりボランティアやNPO活動を通じて建物再生や街づくりの再生に積極的に取り組みました。
仕事としてもいくつかかかわったのですがほとんどを勉強だと思って無償又は採算度外視で様々なプロジェクトにかかわってきました。
様々な経験をきっかけに 築100年を迎える古民家の再生、そしてその建物を生かした活用事業にかかわりました。
最初の2年間はもちろん無償でボランティアで関わりどうしたら低予算で再生できるか、そしてどうやって活用して
事業化を目指すかと毎週毎週仲間と議論し再生に向けた片付けや作業を繰り返しました。
その後オーナーの好意で限られた予算で建物を再生していくことになりましたが
は無理、無茶なことばかりでした。業者にお願いすればすべてお金。
自分たちでできることは本当に限られてしまいました。私はその当時に建築士として修繕の責任者の立場でもあり
苦しみ続けた2年を経験しました。
ところがそこで事件がおきます。関係者がヤクザのような事件屋をやとい私を脅しいれに来たのです。
リフォームではあけてみないとわからないことだらけ、まして築100年ともなれば到底予想がつかないことばかり。
なのにそれを逆手にミスや手抜きを主張して最終的に裁判まで発展してしまいました。
私個人としては精いっぱいどころか
数百万という無償の奉仕代、さらに事業への出資も行い、これまでの努力や報いがすべて無駄になったと感じていました。
当初2000数百万という請求で、一方的に私が悪いという訴えがありましたが
最終的に1級建築士という立場でかかわったことでの責任で500万で和解しました。
リノベーションという価値、文化が浸透しない日本では建築士がかかわってはいけないと
痛感したわけです。
その時は二度とリノベーションという仕事にはかかわりたくないと思ったのですが
ふつふつとヨーロッパで目にした建築、日本各地で見て回った再生建築が脳裏にめぐりました。
いやこういう失敗を経験したからこそ、もう一度リノベーションのプロになろう、プロを目指そうと
誓ったわけです。
そうして2006年度 愛知県と愛知ゆとりある住まい推進協議会が主催する「わが家のリフォームコンクール」で
初めて出品して第1位の愛知県知事賞を受賞することができました。公の場で私のリフォーム、リノベーションの考え方が
認めていただけた瞬間でした。
●団地にこだわるワケ
私は設計事務所時代に一番多く取り組んだ建物はマンション、共同住宅であります。
機会が与えられて10、20戸というマンションの規模ではなく、100を超える大開発のプロジェクトに
多くかかわることができました。
ただそれくらいの規模になると1戸、一戸の組み合わせが集合住宅という概念だけでは設計ができないわけです。
分譲マンションという事業性、採算性はもちろんですが地域や開発、そして法律の問題、そして歴史的な問題など
様々な知識が必要になるわけです。
何も知らない私は古本屋で共同住宅、住まいに関する本をとにかく買い集め読みふけったわけです。
日本には共同住宅=長屋という歴史はありますが鉄筋コンクリートの建築、上に積み重ねて住まうという
文化、歴史はまだ始まったばかりであるので学生時代には全く興味がなかった建築の勉強をとことんやったわけです。
そんな中で団地というキーワードに当然のことながら出くわします。
公団の始まりから床座、椅子座という暮らしの変化、寝食分離から核家族化まで団地という歴史を知れば知るほど
日本の暮らしの変化が見えてくるのです。
このことは設計士としての自分の能力をプロへの意識化の向上につながった要因でもあります。
だから団地は私が建築士としての第1歩を歩み始めるきっかけでもあるから団地に今でもこだわるのです。
●古い建物にこだわるワケ
もう25年から30年近く前、私の20代前半はまさしくバブル時代の絶頂期でした。
建築業界の景気もすこぶる時代で次から次に建物が壊されビルが建てられました。
それが当たり前だと思っていた時代でもあります。
設計事務所に就職し私はマンションやビル、ホテルなどの大規模プロジェクトを担当する機会に
恵まれました。次から次へ真っ白な敷地に設計する仕事は楽しくワクワクする毎日でした。
とにかく仕事と勉強に明け暮れる毎日でした。
そんなある日会社から欧州6か国に20日間近く研修に行く機会をいただき衝撃を受けました。
ヨーロッパではドイツのフランクフルトやイタリアのミラノのような先進的な街でも簡単に建物が
建てられないということを知ったこと。まして古い町、歴史ある町 ロンドン、パリ、ローマでは300年以上経った
建築物も少なくないということ、そしてそんな建物こそが高級住宅街に存在し非常に高い値段で取引されているということ。
日本では全く考えられない衝撃的なことでもありました。1995年 私が28歳の時です。
下が帰国し会社の戻って書いたレポートの一部です。
私は30歳を目標に独立することはこのあたりから明確なビジョンがありました。
きっと会社辞めると簡単に謝金はできないだろうと自営業になる前に住宅ローンを借りておこうと物件探しを始めました。
その当時はバブル崩壊後に再発したミニバブル時代。新築マンションが大人気の時代でもありました。
私は3年前に訪れたヨーロッパの建築や街づくりを思い出し、新築は絶対に買うのはやめようと思い
小さな一軒家を買うことを決意しました。